Re:「通信とパソコン革命の10年」
 hcomさんのTB「10年前からの雑誌付録CDを処分した。」という興味深い記事の中に「通信とパソコン革命の10年」という言葉がありました。

 確かに私達の暮らしは今やインターネットなくしては成り立たない、それがない頃は別になくてもなんの不自由もなかったのに、な~んて話を、昨日同じ年の友人と、ちょうどしていたところでした。

 私が就職したのは1993年、ちょうどWindows3.1が日本でも発売され、電気街に行列が出来た年でした。

 大学時代は、私は社会工学を専攻していてましたが、個人でパソコンを持っていることなど考えられず、社会工学類専用の端末室にIDカードで入室し、別室に大型コンピュータがあり、その端末機を使って実習をしていました。1年目にMS-DOS、アセンブラ言語とTURBO-PASCAL、2年目にUNIX、C言語とPOSTSCRIPT(当時のグラフィックデザインの原型)を練習させられました。印刷機がまたミシン目の異常にでかい紙を使うやつでした。

 3年生になって都市計画を専攻し、6~7人のグループに分かれて「土浦・つくば」のマスタープランを作るのですが、あるメンバーが「レポートはワープロで統一ね!」と言い出してしまい、他の専攻の友人からワープロを借りて、泣く泣く自分のパートを編集しました。住宅地計画の実習もCADがないため、図面は手書き。講師の先生にせっかく書いた図面の上に赤でチェックを入れられ、図面が全部書き直しになったことも。コンサルタントでバイトもしていましたが、グラフを作るのに「タイプライター」を打っていました。

 就職してからは、職場の新聞を作ったり出張報告書を書いたりするのに、ワープロ「書院」を使いこなしました。そしてあるシステムが導入されるのに伴い職場に一台ずつパソコンが導入されましたが、しかしレイアウトの必要な殆どの書類はワープロで作っていました。「ロータス1.2.3」でいろいろな統計処理も試みましたが、途中で断念しました。「ポケベルがならなくて」というドラマが流行したのもこの頃でしょうか。

 1997年、青年海外協力隊でヨルダンに行くことになり、あわてて初めてのパソコン(Windows95版)を買いました。当時はインターネットつきワープロなんてものも売られていました。全く資料のないところへ技術支援に行くにはパソコンが不可欠と当時考えたからです。(ちなみに不可欠ではありません。)殆ど何も勉強せず、ただパソコン、モデム、外づけのCD、変圧器を持ってヨルダンへ。現地の「グローバル・ジョルダン」社へインターネットを申し込みに行き、末尾に「co.jo」と着いたアドレスがもらえました。それで日本にメールを送りました。「宮田くん、私はヨルダンにいますがメールは届いたでしょうか?では、味噌ラーメン。」と送ったら、「原くん、メールは届きました。では、かまぼこ。」という返信がきて大喜び。しかしインターネットを見るのは、当時ヒット曲をバンバン出していた小室哲哉のサイトくらいでした。

 でもヨルダンにはインターネット・カフェがとても多くて、アンマン大学の前の通りは、世界で一番「1Km辺りのインターネットカフェの数」が多いストリートと、ギネスブックにも掲載されています。しかし、派遣されたマアン市役所は、コピー機すら中森明菜の「ミニコピア」。ここでパソコンを使っても間違えなくおもちゃにされる、と思い結局使いませんでした。友達とのやりとりも殆ど手書きの国際便でした。結局そのパソコンは使えるようにならないまま、ヨルダンに置いてきてしまいました。

 職場に再び戻ると、一人一台パソコンを導入しようという動きが出てきて、職場で各係に2、3台入るようになりました。友達も次第に携帯を買うようになりましたが、「こんな電子の世界に埋没したくない。」と携帯もパソコンも買っていませんでした。電話で話も通じるし、メールより手書きの方が喜ばれるし、な~んて思っていました。

 5年前に外部の関連会社に出向しましたが、そこでは一人一台すでにパソコンがありましたが、イントラネットは構築されておらず、みな3,5インチFDで文書や設計図書のやりとりをしていました。仕事の必要性でEXCELをやっと始めて勉強しました。そこの職場は忙しくなかったので、2年前、横浜市泉区民文化センター「テアトルフォンテ」で劇団青年団・志賀廣太郎氏の演劇ワークショップに参加し、グループに分かれてオリジナル台本を作ったのですが、ある班はパソコンで、私の班は手書きで訂正がある度に、「はさみとのり」で切り貼りしていました。ある班は、喫茶室の中で別々のグループが会話を同時進行するシーンがあったため、パソコンで2段組の台本を作っていました。そのとき初めて、ああ、パソコンは便利なんだなぁ・・。と感じました。

 そこで知り合った10歳くらい年下の女の子と一緒に演劇を見に行くことになり、初めて「よし、携帯を買おう!」と決意しました。「今日は楽しかったですネ。また会いましょう!」そして猫マークの絵文字を入れました。可愛い女の子に絵文字を使ってメールする喜び!残念ながら、その方は結婚してしまいましたが、それ以降、友達や恋人(今はいません)と待ち合わせをするのは、だいたい携帯メール。携帯を持つようになってから友人も私を誘いやすくなったそうです。

 そして2年前、今の職場へ来ました。職場内LANが構築されているのは当然のことながら、なんと「職場内ホームページ」がありました。それには「仕事の手引き」から必要書類のダウンロード、パソコンマニュアルまであり、さらに驚いたのが「よっしーポップアップ」が全員のパソコンに設定するルールになっていたのです。ここに来て初めて、ワードを使ってガイドラインを作ったり、PDFファイルを作ったり、デジカメ・スキャナを使って編集したりという作業を覚えました。そのホームページは人事異動で私が引き継ぐことになり、WEB作成ソフトを勉強しました。私以外に若手で一人編集を手伝ってもらっていますが、彼女は大学の一般教養でHTMLを勉強してきたとのこと。それに比べて、私が大学で習ったことは、一体今、何の役にたっているのぉ!

 次第に所属する山岳会から「山行計画書」が届かなくなり、「会報」も電子化されて、会員50名中、郵送しなければいけない人が残りわずか5~6名となり、「原さんどうしてパソコン買わないの?不便よ。」と言われる始末。そう、もはやパソコンを持っていないと、自分が不便なのでなく、相手が不便だと感じるようになったのです。そして去年の5月にやっとパソコンを買い、ホームページやブログも立ち上げ、暇さえあればネットサーフィンする生活になってしまいました。

 今やパソコンがないとビジネスが成り立ちません。仕事のやりとりは全部パソコン、データは全て自社も取引先も電子化、コンサートのチケットも旅行先のホテルの予約も全部インターネット。音楽もレコードからCDへ、テープからMDへ、そしてiPodへと時代は進化していくのですね。

 通信手段が発達し、便利にはなりましたが、それだけ生産手段や社会生活に対する要求水準が高くなってきているため、決して楽にはなっていません。職場のOA化は推進するべきですが、OA化に伴う人員削減には断固反対しましょう!
by hide3190ymo | 2005-04-18 22:55 | PC・IT・Web
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