NOT 理解 BUT 助け合い
人間関係のトラブルって、「相手を理解できない」というストレスから来ることが多いかも知れません。親族を殺人したり、自爆テロが起きたり、弱者を虐待したり、ストーカーがいたり、宗教戦争が起きたり、そういったトラブルが、人類史上、絶えません。

私のカウンセラーに、人間関係のことで相談したとき、「人を理解したいということは、相手を支配したいということだよ。それより、『自分の理解できない相手がいる、その存在を許してあげる』ことが大切だ。」と言われたことがありました。



なるほど、確かに、自分と全く違う環境、違う人生を歩んできた『他人』を完全に理解するなんて、有り得ないな、と思いました。

「好意」を持っていた人に対して、ある瞬間から、それが「憎しみ」や「裏切られた感」を抱くのは、「相手を理解したい」という想いが強すぎたからだと、考えるようになりました。

それに関連して、河合隼雄さんの「こころの処方箋」という本に、こんなことが書いてありました。

「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」

男女に限らず、自分と他人、健常者と障害者、アジア人とヨーロッパ人など、全ての人間関係に当てはまるような気がしました。

相手のことを知りたいという気持ち。自分のことを知ってほしいという気持ち。誰にでもあるでしょう。でも、完全に理解しないと気が済まない、というところまで行くと、相手も自分も苦しくなります。

もちろん、殺人とか、不倫とか、人を騙したり、物を盗んだり、そういう罪に対しては、毅然たる態度を取るべきだし、許せといっても無理があります。

でも、せっかく知り合った友達とか、身近な人間関係が、相手を許せない故に、ちょっとしたトラブルで壊されてしまうのは、非常にもったいないことです。

時には、相手との距離をとったほうが、お互いのため、ということもあるでしょう。

相手を理解するより、相手が何を望み、どんな協力が自分に出来るか、を考えることが出来るような人になればいいな、と私は思います。

私の場合、今のところ、人を助けるより、人に助けてもらうことの方が多いです。
by hide3190ymo | 2007-01-23 20:03 | 人間科学
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