タイタニック号・細野正文さんの遭難手記@横浜マリタイムミュージアム
横浜マリタイムミュージアムで、1912年4月14日北大西洋で客船タイタニック号が氷山に追突して沈没したときの日本人唯一の生存者・細野正文氏の手記が公開されています。
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場所はみなとみらい21地区の日本丸のそばにあります。JR京浜東北線桜木町駅から、すぐに分かります。



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便箋には船会社ホワイトスターラインのマークとタイタニックの船名が印刷されています。
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タイタニック号・細野正文さんの遭難手記@横浜マリタイムミュージアム_c0012640_113991.jpgタイタニック号・細野正文さんの遭難手記@横浜マリタイムミュージアム_c0012640_1140233.jpg世界的にも貴重な資料だそうです。
全文を読みたい方は、左の2つのサムネイルをそれぞれクリックして下さい。別ウィンドウ表示でなんとか読めるサイズに拡大されます。この手記は4月10日まで公開されています。開館時間10:00~16:30、祭日を除く月曜日が休館日です。
常設展示としては、黒船渡航の歴史や世界の客船の模型などがあり、「船の博物館」として地元で愛されている施設です。
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入場券600円で日本丸の中も見学できます。
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マリタイムミュージアムの上は屋上緑化され、屋根の斜面に芝を張り、港と一体となった親水空間が整備されています。

さて、日本唯一の生存者・細野正文氏は、音楽家・細野晴臣氏の祖父でして、このとき助けが来なければ、はっぴーえんど、YMO、HIS(細野晴臣+忌野清志郎+坂本冬美のユニット)、スケッチショウにも細野さんはいなかったでしょう。また山下久美子の「赤道小町ドキッ」も中森明菜の「禁区」も他の作曲家が作っていたかも知れません。

タイタニック号・細野正文さんの遭難手記@横浜マリタイムミュージアム_c0012640_12231310.jpgこのサイトを見て急に「細野晴臣」が聞きたくなった方は、「オムニサイトシーイング」がオススメです。細野さんが「観光音楽」に凝っていた頃で、「ラフガス」「レロルト」など、いろいろな世界の伝説をもとに作った作品で、テクノ有、沖縄POP有、環境音楽有の名盤です。

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n_ayadaさんの「細野晴臣『はらいそ』再発!」にもトラックバックしました♪


yushiさんにもTB致しました。以下細野さんの影響を受けたと書き込みいただいたyushiさんのプロフィールです。
清水 雄史 yushi shimizu 音楽家。1968年東京生まれ。5歳からクラシックピアノを学ぶ。多摩芸術学園映画学科卒業後 nice musicを佐藤清喜と結成。 93年ビクターエンタテインメントにてアルバム「nice to meet the nicemusic」でデビュー。 現在広告関係の作曲及び都内専門学校・大学にて非常勤講師として活動
by hide3190ymo | 2005-02-27 11:36 | 都市デザイン
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