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ジョバンニの島 at ららぽーと横浜
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昨日で復職支援プログラム3日め。集団心理療法が、だんだん楽しく興味深くなってきて、自分の休職原因も分かってきました。私の職場は、同じ週休2日制でも、一般的な土・日が休みで、土曜日遊び日曜日リラックスでしたが、今のリワークは、月・火・水・金・土が出勤、木・日が休みで、少し戸惑いもありますが、水曜日の午後、半日遊び木曜日リラックス・タイムにしました。

リワークが港北ニュータウンへ通っているので、映画は、ららぽーと横浜の109シネマズに行きましたが、生まれて初めてグリーンラインに乗りました。「ジョバンニの島」は、全席プレミアムシートの部屋で公開され、同じ1800円なのでラッキーでした。

映画「ジョバンニの島」は、事実に基づくフィクション映画で、舞台は色丹島。ソ連の占領に家族・友情・男女の絆が過酷に引き裂かれた現実と、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の幻想文学が、うまくコラボレーションされていて、現実シーンと幻想シーンというはっきりとした境界線がなく、自然と溶け込んでいきます。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のファンには全員に見てほしい、見なきゃ損! そして、この映画に興味があるけれど「銀河鉄道の夜」は読んだことがない人には是非一読してから、この映画を見ることをお勧めします。

太平洋戦争時代、平和で自然が豊かな漁村だった色丹島。防衛隊長を勤める父親・辰夫10歳の兄・純平と弟・寛太がいて、2人の名前は、「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラから名付けられました。辰夫は純平と寛太に「銀河鉄道の夜」の本を交互に朗読させ、2人の兄弟も「銀河鉄道の夜」にハマっていき、鉄道模型を「銀河鉄道」と呼んで、遊んでいました。

1945年8月15日、昭和天皇のお告げで、日本が戦争に負けたことを知り、村人たちは落胆し、アメリカ人の奴隷になるのか、若い女性は強姦されるのではないかと心配の声も上がりました。徴兵されていた純平の叔父・英夫は、無事生還し、色丹島に戻ってきました。「ばっきゃろー、お国のためになんか死ねるか」と。

1945年9月1日、純平の通う小学校では、いつも通り授業が行われていましたが、ソ連の艦隊がやってきて、小学校を包囲します。ソ連兵が教室に来ますが、教師・佐和子は冷静にいつも通りに振る舞いなさいと動揺する生徒をリードします。ソ連兵達は、村人から財産を奪い、小学校も半分ソ連のもの、半分日本のもの、純平の家も半分ロシア人の将校コーシュキンに奪われます。

叔父・英夫は、純平に夜10時に海岸沿いの丘に焚火をたくように指示し、夜、ソ連兵に見つからないように本土に商談をして、金儲けをたくらみ、純平たちに電池で動く鉄道模型をプレゼントしていました。すると、向こうのソ連兵の将校コーシュキンの娘ラーニャがふすまを開けて線路を伸ばしてきました。2人は喜んで、鉄道模型を送ると、ラーニャからリボンをつけた銀河鉄道が帰ってきました。兄弟はラーニャと親交を深め、紙飛行機で遊んだり、コーシュキンの家族に招待されて、ロシア料理をご馳走になったりしていました。

純平はスケッチブックにラーニャの笑顔を描いていました。ラーニャと2人で出かけた時に、そのスケッチブックがラーニャに見つかってしまい、焦る純平に「私を描きたいの?綺麗に描いてね。」と言ってポーズを取りました。2人は初恋をし始めたのです。

ある日、ラーニャは、お花畑で花冠を造り、純平にそれを渡し、「私の頭に飾って」と、王子様・お姫様ごっこをします。それから純平のリードで木苺を見つけ食べ合っていました。そして、防空壕の上で、たまたま2人が見てしまったものは、防衛隊長だった純平の父・辰夫と佐和子先生が、ソ連兵に見つからないように、防空壕から、米を取り出している光景でした。日本人の島民の食糧難から守るためです。純平は、今、見たことをソ連兵に言わないようにラーニャに口止めをしました。

しかし、後日、ソ連兵に見つかり、辰夫は強制連行されました。純平はラーニャが密告したと疑って、ラーニャも「私じゃない」と一生懸命、説得をしましたが、純平が責め立てるので、ピンタを食らわせ、泣きだしました。

そして、「日本人を全員、本土に戻す」とソ連兵は言って、村民は全員ソ連の船に乗せられました。その船に乗るときに、告げ口をしたのは叔父の英夫であることを知り、純平はラーニャを責め立てたことを後悔しました。そして、島を離れる時、ラーニャは海岸沿いの丘に立って、「純平!純平!」と手を振って叫んでいました。

しかし、島民が連行されたのは、日本本土ではなく、樺太でした。強制連行された島民の男性の大人達は、森林の伐採など過酷な労働を強いられ、島民には少量でまずい食料しか与えませんでした。叔父・英夫は、辰夫が、この山の反対側の強制収容所にいると知り、2人の兄弟に知らせると、衰弱した寛太が「お父さんに会いたい」と言い出し、2人はこっそり抜け出して、鉄道に乗りました。鉄道の終着駅から、夜の雪山の道を歩き、寛太が具合が悪くなって、純平は寛太をおぶって歩きました。

そこで、英夫は佐和子先生を車に乗せて2人の後を駆けつけて後を追い、2人を危険だから帰るように説得しましたが、「どうしても、お父さんに会いに行く」と兄弟は言うことを聞かず、英夫は「佐和子先生もなんとか言ってくれよ」と頼みましたが、辰夫を慕っていた佐和子先生は「私も辰夫さんに会いに行く」と言って、英夫は「う~ん、こういう時は、男って、どうしたらいいんだ!」と言って、結局4人で強制収容所に向かいました。

ある無人小屋で寒さをしのいでいたところ、英夫の車が気が付いたソ連兵が向かってきました。英夫は「佐和子先生、私がソ連兵の気をひきますので、寛太と純平を頼みます。一緒に逃げてください」と言い、佐和子先生は、2人を連れて逃げました。そして機関銃の連射の音を聞き、もう英夫は亡くなったのかと思いましたが、2人の兄弟を守るためにも佐和子先生は逃げ続けるようにしました。

3人は体力が疲れ果て倒れていると、気が付くと、善意のロシア人のおばちゃんに救われ、「子供がいなければ、日本人を助ける義理なんてないんだけれどねえ。」と言って、暖かい食事をあげました。ロシア人のおばちゃんは旦那さんが強制収容所で働く人で、父・辰夫からの手紙「何時にここへ来い」という手紙を受け取りました。

兄弟はその指示に従うと、辰夫は「馬鹿野郎!なんて危険なことをするんだ!」と叱責しながらも、強制収容所の2重の有刺鉄線ごしに、2人と握手をしました。帰り道、弟・寛太の口から血を吐きだしました。「寛太!寛太!」と叫んでも届かず、それは「銀河鉄道に乗ったカムパネルラ」の最後と同じように、銀河鉄道に乗って、2人は宇宙の天井まで旅をし、それがカムパネルラの死ぬ前の2人旅だったのです。

佐和子先生と純平は色丹島民の住んでいる場所に戻り、樺太に連行された60日後、今度は本当に日本の国土に戻される船に乗りました。3人をソ連兵から叔父・英夫は、足に怪我をしながら生き残っており、4人は無事に本土に向かいました。

そして、2000年から色丹島への自由訪問が出来るようになり、大人になった純平と老人になった佐和子先生は、純平達の通った小学校の生徒たちに会い、50数年ぶりの卒業式が行われました。そして、ロシア人との交流パーティーで、ラーニャの知人のロシア人が純平に「ラーニャは去年亡くなりました。ラーニャは、死ぬまでずっと、純平に会いたい、純平に会いたい。と言っていましたよ。」

ラーニャそっくりのお孫さんと純平は、ダンスを踊り、大人になった純平は、少年時代に初恋の想いを胸に抱きながら、ラーニャの孫と踊り続けました。

色丹島やロシアの風景描写はリアルでなく、むしろ水彩画に近い、淡いタッチで描かれ、宮崎アニメとは、また違う、アニメの面白さを発見しました。

ららぽーと横浜で、109シネマズを出ると、HMVららぽーと横浜店があり、寄ってきて、ベック王子の新譜を試聴し、ATOMS FOR PIECEのメンバーの参加で、ポストロックっぽくなって、自分の音楽の好みのラインに入ってきました。以前、自分が頼りにしていた、HMV横浜ビブレ店がなくなり、日本のHMVは、本社イギリスのHMVの不調に伴い、ローソンとタイアップしましたが、HMVラゾーナ川崎店は、その多くの店舗面積をローソンに奪われAKB48に独占されてしまい、なんとなく北方領土問題と重なるところがありますが、HMVららぽーとは、北欧ポップ、UKロック、NYブルックリン・シーンと、HMVらしさを保持したまま経営しており、少し嬉しくなりました。

(今日のYouTube) STARS / SIMPLY RED
by hide3190ymo | 2014-03-06 09:38 | 音楽&映像