クローズアップ現代~終わらぬイラク~高遠菜穂子さんの6年~感想
昨日は、ワインの力に頼りましたが、ぐっすり眠れました。

今日は、2時間くらい残業して、テレビをつけると、NHKクローズアップ現代で、「終わらぬイラク~高遠菜穂子さんの6年~」という放送を見ました。2004年、イラクでの高遠菜穂子さん、郡山総一郎さん、今井紀明さんらが、イラク人質事件が経ってから、6年。ジャーナリストの江川紹子さんをゲストに迎えての放送でした。

あの事件の前に、イラク戦争後の復興支援として自衛隊が派遣され、「どうして戦車が来るのか、日本はアメリカの味方なのか」という批判がイラク国内でも論争があった中で、戦災復興のボランティアとして、ヨルダンのアンマンからイラクに向かった高遠菜穂子さんらは、ファルージャ近郊で武装グループに人質にされ、武装グループは、日本政府に対して、自衛隊の撤退を要求してきました。

その当時、高遠さんの弟は、「日本の自衛隊はイラクから撤退すべきです」と政府に怒っていましたが、だんだん弟さんも精神が参ってきたようで、「お願いです。何とか姉を救い出してください。お願いします。」と、泣いてた記憶が、私には今でも、鮮明です。

イスラム教の宗教家が「彼女達はイラクを支援しに来た人達だから解放しなさい。」という説得をし、その説得に応じて、武装グループは、3人を解放しました。

小泉政権の対応は、「テロの圧力には屈しない」という考えで、ただ一晩中待機はしていたものの、何もしてあげてなかったと、記憶しています。

しかし、日本に帰国後、彼女を待ち受けていたのは、イラク入国は危険だというにも関わらず入国して政府関係者に迷惑をかけたという「自己責任論」でパッシングを四方八方から攻撃されました。

今日のクローズアップ現代で、その高遠菜穂子さんのパッシングに耐えた強さを報道していました。高遠さんは、「私に『自己責任論』で責める人達は、私に『死ね』と言っているんだ、私は死ねば良かったんだ。私は殺されて生きて帰らなければ良かったんだ。」と彼女は自分を責めて、精神的なダメージを受けて、睡眠薬や精神安定剤を飲まないと眠れない日々が続いたそうです。しかし、そんなときに、イラクの友人から、「元気ですか?心配しています。」というメールを見て、励まされ、再びイラク支援の道を歩き始めたことが、報道されていました。




私は、平成9年に、青年海外協力隊の都市計画隊員として、ヨルダン南部の町マアン市に派遣されたとき、ストレスから十二指腸を痛め、派遣先の市役所に出勤できなくなったら、何人かのヨルダン人が私の借家に来て、扉をたたいて、「HIDE!HIDE!」と声をかけてくれました。「HIDEが職場に来なかったから心配したんだぞ。HIDEはどこだ?HIDEはどこだ?って、大騒ぎだったんだぞ。(アラビア語で)」と3人の若者が、私の借家へ慰問しに来てくれたのです。彼らを部屋に入れて、「ヨルダンのマアン市に来て、日本人が数人しかいなくて、男は私1人だけで、とても淋しくて、アラビア語もなかなか上達しなくて、つらい思いをしていた。建築の実務経験も少ないし、私はここで役に立つことが出来ないんだ(英語で)」と、私の心の中で打ち明けて、泣きじゃくりました。慰問してきたヨルダン人たちは、「アナ・アーセフ、アナ・アーセフ。(ごめんなさい、ごめんなさい)」と、なだめてくれました。

私は、首都アンマンの中央病院に連れて行をれました。(ちなみにこのアンマンの中央病院は、イラク戦争勃発後、負傷したイラク人が次々と運ばれた病院でした。)そこで、私はJICAに対して「アラビア語がまだ上手くしゃべれないので、英語でカウンセリングを受けられる人を紹介してほしい」という要望を出しました。すると青年海外協力隊の調整員だった方が、「日本に一時帰国して、日本語でカウンセリングを受けようよ」と打診され、十二指腸が回復するまで2週間くらい入院してから帰国しました。私も「HIDEの青年海外協力隊に行ったのは、仕事がいやだから逃避したんだ」という自己責任論が一部の職員の間で、飛び交いました。

二本松青年海外協力隊訓練所で一緒に行ったメンバーからも、「そんな精神的ストレスを抱えている人を責めるなんて、『人でなし』じゃん!(byインドネシア隊員&私をmixiに招待したお姉さま)」「そんなことをいうアホは、ほっておけばいいじゃない。(byガーナ隊員&訓練所で隣の部屋だった若い人)」など多くの人に、励まされました。

職場に戻るべきか、ヨルダンに戻るべきか、同じY市建築職の同期の友人4人と、ご飯を食べに行って、「日本にいても、ヨルダンにいても、ストレスが大きいなら、HIDEさんの生命の安全性を考えたら、日本に帰るべきよね。」と、結婚して3ヶ月で離婚したばかりの元・好きだった女性(私が彼女の結婚式で、マドンナの格好をして『LIKE A VIRGIN』を歌ってしまった履歴あり)から、アドバイスを受けて、Y市に戻る決心がつきました。

私の職場の人は、私を暖かく迎い入れてくれました。「HIDEが戻ってきてくれたから、助かったよ~」って言ってくれた1つ年上の友人は、いつも私のブログを見て、落ち込んでいると、「大丈夫かよ?」と電話をくれたり、飲みに誘ってくれたりします。だから、少しくらい嫌なことがあっても、この職場で、一生頑張って行こうと思いました。

それから、ヨルダンにいた少し英語のしゃべれる友人から、「HIDEは元気にしているか?」といつも他のマアンの隊員に聞いていたそうで、「HIDEは元気だよ」と答えると、にっこり笑ってくれるそうです。彼は私に早くヨルダンに戻れなんて言わなかったらしくて、ただ私の健康を願っているようで、その報告を受けて、私も嬉しかったです。

だから、高遠菜穂子さんが、イラク人からの心配のメールを受けて励まされたシーンを見たら、自分の経験と重なって、涙が止まらなくなりました。そのとき、父から、「なんで泣いているの?テレビのチャンネル変えようか?」と言われましたが、「いいの。オレはこの番組を最後まで見たいんだよ。」と答えました。

私も、パッシング受けた当時の高遠菜穂子さんと同じように、未だに睡眠薬や精神安定剤なしでは眠れませんが、イラクを支援しているけれど実はイラクなしでは生きられない彼女と同じように、私も横浜市で労働しながら横浜なしでは生きられません。遠い国で頑張ることと、地元に貢献することと、生きている場所は違うけれど、人の生きる道は一緒なんだと思いました。

イラク戦争に対して、私が出来たことは、日比谷公会堂前からアメリカ大使館まで、戦争反対の抗議デモ行進に参加したことと、、9条世界会議に参加したことと、医療関係者の労働組合が主催した高遠菜穂子さんの講演会に行ったこと、このブログの右サイドバーに、イラク・ホープ・ダイアリーへのリンクを張ったくらいです。

でも、ヨルダンに任期途中で帰ってきたとしても、ヨルダンの隣国のパレスチナ・レバノン・イラクでの紛争や、イスラエルの攻撃がニュースに出ると、だいたい平和国家のヨルダンのアンマンから、テレビで生中継され、中東情勢が理解できるだけでも、ヨルダンに住んでいた経験は、無駄ではなかったのかなぁ、と思うこともあります。

番組の最後で、ジャーナリストの江川紹子さんが、「イラク支援に対しては、いろいろな方法がありますし、その手段についての意見も人それぞれ違うと思います。でも、イラク戦争とは日本にとって、何だったのか、もう一度、振り返ってみる必要があります。」と、NHKらしいまとめ方で、番組が終わりました。

イラク人質事件の真相について参考になる本を紹介します。

イラク「人質」事件と自己責任論―私たちはこう動いた・こう考える

大月書店


高遠菜緒子さんのパッシングについて、NGOで活動されている方々の立場から意見を示した本です。私も、まだ読みかけです。

未来って何ですか―ぼくがいちばん撮りたかったもの

郡山 総一郎 / 新日本出版社


同じく人質事件にあった郡山総一郎さんが、パレスチナ、イラクで見た、戦火の中で生きようとする子供達、パキスタン、タイ、フィリピンで貧困の中でも希望を持って生きている子供達を写した写真集。郡山総一郎さんの暖かい人柄が伝わってくる写真集です。

戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法

平和をつくる17人 / 合同出版


イラク戦争勃発の翌朝、Mr.Childrenの桜井和寿さんが、「戦争をしなくてすむ方法を考えよう」というメールが入り、17人の平和を願う人が編集した、読みやすくて、分かりやすい本です。

(今日のYouTube) The War Song / Culture Club
by hide3190ymo | 2010-03-03 22:15 | 平和と国際連帯
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